レゲエ

史上最高のレゲエの名曲トップ10

歴代のレゲエの名曲ランキングです。人気の名盤や有名曲など、洋楽レゲエのオールタイムベスト(世界史上最高)のトップ10。ジャマイカのエンタメサイト「ジャマイカンズ・ドットコム」が2011年に選出しました。曲名、アーティスト名、発売年、動画(Youtube)へのリンクなど。~MOVE

    
順位 曲名/アーティスト名 解説
「ワン・ラブ」
(One Love)

ボブ・マーリー
(Bob Marley)

1977年

ボブ・マーリー

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レゲエの神様ボブ・マーリーの代表曲。 「ラブ&ピース(愛と平和)」を伝える究極のアンセムとして愛されている。世界中の人たちが酒場で合唱できる歌。日本でも有名。

1977年のアルバム『エクソダス』に収録された。 リリースから半世紀たっても、レゲエといえばまずこの曲が思い浮かべる人が多い。 まさにジャマイカが生んだ世界遺産。

収録アルバム「エクソダス」Amazon
「シーズ・ロイヤル」
(She's Royal)

トーラス・ライリー
(Tarrus Riley)

2006年

トーラス・ライリー

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抜群の美しさを持つ曲。 「彼女は僕の女王様」とやさしく語るラブソング。 女性を讃えるスピリットに満ち溢れている。 何度聴いても枯れることがない。

トーラス・ライリーは米ニューヨークに生まれ、ジャマイカで育った。 父親は有名なレゲエ歌手ジミー・ライリー。 本曲は2枚目のアルバム『Parables』からのシングルで、大ヒットを記録した。 2008年のレゲエ・アカデミー賞で最優秀楽曲賞など、様々な賞に輝いた。
「華氏96度」
(96 Degrees in the Shade)

サード・ワールド
(Third World)

1980年

サード・ワールド

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ジャマイカを代表するレゲエのヒュージョン・バンド「サード・ワールド」の代表曲。 人権を抑圧されていたジャマイカの黒人たちが政府に反乱を起こした1865年の「ジャマイカ事件」をテーマにしている。 ルーツと向き合う歌詞と音が、哀愁あるメロディとともに心に響く。
「スター・イット・アップ」
(Stir It Up)

ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ
(Bob Marley & the Wailers)

1973年

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ボブ・マーリーが1967年に作曲し、自らのグループ「ウェイラーズ」で演奏。発表した。 その後の1972年、アメリカのレゲエ歌手ジョニー・ナッシュがカバーし、米国などでヒットさせた。 これがマーリーにとって母国ジャマイカ以外での初めての成功となった。 翌年の1973年、ウェイラーズは新しいアルバム「キャッチ・ア・ファイア」にこの曲を再度収録。 アルバムはヒットし、マーリーは国際的なスターになった。
「ロックアウェイ」
(Rockaway)

べレス・ハモンド
(Beres Hammond)

2001年

ベレス・ハモンド

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ジャマイカのレゲエ界の大御所ロックアウェイの代表曲の一つ。 レゲエのサブジャンルであるラバーズロックの名曲。 ソフトなサウンドで、パーティでのスローなダンスにぴったり。 素晴らしい音楽と愛に満ち溢れていたジャマイカの古き良き時代を懐かしむノスタルジーたっぷりの歌詞とメロディになっている。
「レボリューション」
(Revolution)

デニス・ブラウン
(Dennis Brown)

1983年

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レゲエ界の王子と呼ばれ、 42歳で亡くなるまで、 数多くの偉大な名曲・名盤を遺したデニス・ブラウン。 その彼が、渾身の想いを込めて「愛に基づく革命」を呼びかけた曲。
「ハーダー・ゼイ・カム」
(The harder they come)

ジミー・クリフ
(Jimmy Cliff)

1972年

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ジャマイカ映画の歴史の中で最高の名作と言われる「ハーダー・ゼイ・カム」の主題歌。 映画の主演を務めた歌手ジミー・クリフが作詞・作曲し、自ら歌っている。 ローリングストーン誌が選ぶ「オールタイム・グレイテスト・ソング500」で350位に選ばれた。
「ワナ・ビー・ラブド」
(Wanna Be Loved)

ブジュ・バントン
(Buju Banton)

1995年

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1900年代から2010年代にかけて、 ジャマイカを代表するミュージシャンの一人として活躍してきたブジュ・バントンが、 愛する女性への気持ちを表現したストレートなラブソング。 ブジュのダミ声の歌唱が胸にしみる。

4枚目のアルバム「ティル・シャイロ('Til Shiloh)」に収録された。 このアルバムでブジュは世界的なブレイクを果たした。 よりシリアスで社会的なテーマを扱っている。

収録アルバム「ティル・シャイロ」のCD(Amazon)→
「ワン・ブラッド」
(One Blood)

ジュニア・リード
(Junior Reid)

1990年

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13歳の若さでデビューした天才シンガー、ジュニア・リードが22歳のときにリリースした。 「伝説の名曲」とも言われ、長いキャリアの中で代表作の一つとされている。

アメリカのヒップホップ歌手、The Gameがラップの曲としてカバー。2006年に「It's Okay(One Blood)」というタイトルで発売された。 欧米のチャートにランクインした。
10 「ゲス・フーズ・カミング・トゥ・ディナー」
(Guess Who's Comming To Dinner)

ブラック・ウフル
(Black Uhuru)

1979年

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ライブ(マイケル・ローズ)→



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1970年代末から1980年代中盤まで、秀作アルバムを次々と発表したレゲエグループ「ブラック・ウフル(Black Uhuru、ブラック・ユフル)」。 本曲は、そのリード・ボーカルだったマイケル・ローズ(Michael Rose)のソロ時代の曲だった。 それを、レゲエ界の伝説のプロデューサーコンビ「スライ&ロビー(Sly & Robbie)」を迎えて改めて制作。大きなヒットとなった。 後に数々の名作を生み出すことになるスライ&ロビーの初期の傑作の一つとしても有名。

ブラック・ウフルの最初の名盤とも言われる「Showcase」に収録された。 このアルバムは後に再リリースされたが、そのときはアルバム名が「Guess Who's Comming To Dinner」になった。
11 「ノー・ウーマン、ノー・クライ」
(No Woman, No Cry)

ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ
(Bob Marley and the Wailers)

1974年

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一緒にいる女性に「泣いてちゃだめだよ」と語り掛けます。貧困の中で仲間と助け合い、希望を持ち続ける強い意志を歌い上げている。

発表1年後の1975年に発売されたライブアルバムでの演奏が最高である。イントロが流れた瞬間、観客の大歓声と合唱が始まる。 このライブ版は 「ローリング・ストーンの選ぶ偉大な曲500(2010年)」で37位に選ばれた。

ボブ・マーリーは、白人の父と黒人の母の間に生まれたボブは、幼くして両親が離婚。 貧しいスラム街で育った。

1970年代のジャマイカは二つの政党が激しく対立して、銃撃による死者もたくさんいた。 大スターになったボブは、自分のコンサートで二つの政党の代表に和解の握手をさせた。 平和運動にも尽力した。36歳という若さで死亡。脳腫瘍だった。(東奥日報)
12 「54-46 Was My Number」
(54-46 ワズ・マイ・ナンバー)

トゥーツ・アンド・ザ・メイタルズ
(Toots & The Maytals)

1969年

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ジャマイカ以外の国で最初に大ヒットしたレゲエ曲。 レゲエというジャンルを定義づけた曲の一つとして位置づけられている。

曲名の「54-46」は、トゥーツが大麻所持で捕まり服役した際の囚人番号だという。独房の番号だという説もある。 看守がどんな風に服役囚に話しかけるのかを、ユーモアとリアリズムを交えて語る。

パワフルな名曲。破壊力抜群のリディム。 人々の心に火をつけ、踊らせる。

この曲には2種類ある。どちらもレスリー・コングの「ベヴァリーズ」からのリリースだ。 どちらかといえばレアな最初のバージョンは1968年にリリースされた。 曲名は「54-46 That's My Number」だった。

翌年の1969年に発売された2つ目のバージョンが世界中に広まった。 有名な「Stick it up Mr!」から始まるイントロが加えられている。